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2008年03月 アーカイブ

2008年03月07日

第275号『楕円の教え』

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【光と影の豊饒】

出張で大阪へ出かけた。
仕事が思いのほか、早く終わった。
最終の新幹線で帰るつもりだったので、なんだか少し浮かれた気分になった。

数年前、息子が大阪に赴任していた時、2、3日滞在したことがある。
街を歩きながら、食、ことば、ファッション、風情など東京とは違う文化圏、大阪に魅力を感じた。

串あげかネギ焼きでもつまみながら一杯やろうと、梅田界隈をブラブラと徘徊する。

阪急、阪神、JRが乗り入れるこの一帯は夕方ともなれば、人でごった返す。
たしかに人は多い。
でも以前来た時とは、少し様子が違う。
なんだろう。
思い過ごしかもしれないが、街に元気がない。

かたや、東京の栄華ぶりに驚く。
六本木、有楽町、東京駅周辺の再開開発とその建造物、ファッション、食、どれもが世界水準を見据え、メトロポリタン東京の一点に集約している。

かつて、恩師からバロック様式の豊穣さと解放感の源泉は楕円にある、と教えを受けた。
楕円を作図するには焦点が2つ要る。
つまり、この2つの焦点からの距離が、つねに一定になる点をたどると楕円となる。

大航海時代、新大陸が発見された。
ヨーロッパ大陸中心の一極から、旧大陸と新大陸の二つの極に分裂する世界観の変化の時でもあった。
そして、豊饒なるバロック様式が登場した。

大阪の、あるいは地方の元気の無さは、豊饒と解放の源泉を枯渇したまま放置する政治の無能さと、豊さをいつまでも人頼みにしている、われわれの怠慢さの証左ではないか。

そして、東京の一極に全てを集約する繁栄は、バランスを欠く、危うい国、日本の姿でもある。

2008年03月13日

第276号『愛し合っているかい?』

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【影法師】

盟友だった料理研究家カマタスエコさんが、突然の病に 倒れ、帰らぬ人となって一年が経つ。
光陰矢の如し、である。
最近、同じ年代の知人、友人の訃報も間々ではない。
自分の身に、いつ降り掛かってきても不思議ではない。

2月10日武道館。
この日、忌野清志郎のライブコンサートに行った。
喉頭癌に倒れ、いっさいの活動を停止してから二年。
その、清志郎が遂に帰ってくる。

復活を祝うファンで、会場は演奏が始まる前から、熱気に包まれていた。
照明が落ちる。

暗転。
巨大スクリーンに見知らぬ男が映し出された。
一瞬、大歓声から、どよめきに変わった。
痩せこけ、髪の毛が抜け落ちた中年男がベッドにいる。
勿論、メイクも派手な衣装もない、ただ深刻な病に冒された男のリアルな姿である。
その男は、まぎれもなく、忌野清志郎その人だ。
しかし、そこから徐々に髪の毛も伸び、顔色も良くな り、「あー良く寝た」とベッドから起き上がり、歩き出すところで映像は終わる。
そして、ステージ上に清志郎が立っていた。

80年代、日本のロックシーンの歌詞が日本語を、英語言葉のような歌い方で支配されていた時、清志郎の分りやすくリアルな日本語の歌詞は革命的だった。
たえず、リアルなメッセージを発し続けてきた彼の姿勢は、この日の復活祭でも貫かれていた。
誰もが心配した、あの伸びやかな声が再び甦っていた。
いや、以前にも増して力強くなった。

「いい事ばかりはありゃしない」「雨上がりの夜空に」など、聞きたい歌ばかり3時間あまり、清志郎は疲 れも見せずステージ上を駆け回り歌った。
ライブの終わり近くに、お約束の「愛し合っているか い?」との呼びかけがあった。
その前に「こんな紛争の続く世の中だけど」とのメッ セージが付けられて、である。

「愛し合っているかい?」という一見、薄っぺらにも思える言葉が、温かく重みのあるものに感じた。
そこには、病と闘い、自分流を貫いてきた56歳の男のリアルなメッセージがあった。

2008年03月20日

第277号『風流』

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【赤い花】

例えば3+4は、7としか解を導けない。
ところが、7となる解は、1+6、2+5、3+4、0+7と4つもある。
問いを別な視点で視るだけで、解へのアイディアは1つではないことに気付く。

これまでの経験でいえば、問題そのものを解くことは、簡単ではないが難しくはない。
むしろ、問いの設定が解決を困難にしていることが多い。

さらに、自分たちこそが正しい、こうでなければならない、と、硬直した設定と立ち位置から動こうしない。
こうして、人は予断を持つに至る。

うんざりするほどに馬鹿げた、日銀総裁人事のドタバタ劇も、こうした事例の1つかもしれない。

人は予断を持つから、期待が生まれる。
そして、予想通りにならないと不愉快になる。

世の中、なかなか思うようにならない。
いや、むしろ何もかも、上手くいかないことのほうが当り前だ。
もっと言えば、僕は予定通りにいかないことのほうが面白いと思っている。

そこにこそ、味わいがある。
想定外のことに人は誰しも、揺らぐ。
揺らぎをありのままに受け止め、楽しむ。

この揺らぎを、古人は「風流」と呼んだ。


なの花のとつぱづれ也ふじの山   一茶

2008年03月27日

第278号『みんなにいい顔はできない』

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【彩りのある布】

例えば、幅広いユーザー層に、満足していただける車を作るにはどうしたら良いか。
理屈から言えば、機能をなるべく多くして、多数に対応すると言うことになる。
しかし、この方法は正しいとは言えない。

2、3の事例に置き換えてみるとわかり易い。

少年野球チームを率いる監督Aさん、釣りとアウトドアにハマっているBさん、ITベンチャーで成功した若手経営者Cさん。
Aさんは、スペースが広く、野球道具も詰め込めるワンボックスカーが欲しく、渓谷に出かけることの多いBさんは、悪路にも対応する4WD車が、そして、若手社長のCさんは、強力なエンジンを積み、高速ドライブのできる車が欲しい。

想像していただきたい。
Aさん、Bさん、Cさんの欲求を全て満たす車を作るとすればどんなカタチになるのだろうか。
おそらく、グロテスクなものになるだろう。
たしかに、いまの日本の技術力をもってすれば出来なくはない。
しかし、この車を欲しがる人はいるだろうか。
もちろん、希少価値としてなら別である。

やはり、正しい答えは、Aさんにはワンボックスカーであり、Bさんは4WD、そして、Cさんにはスポーツカーが良いだろう。

機能を拡張し、ユーザー対象を拡げることは、結局誰も喜ばない結果を生む。
もっと言えば、多くのニーズに応えようとすることは、商品の持つ特性を殺してしまうことになる。

弊社は、ファンを発見し、そのファンと共に商品を育てることにかけては、日本で一番考え、実行している会社だと自負している。

いま、あるメーカーの新商品の企画と、その販売のお手伝いをしている。

この商品についてグループインタビューをしたところ、80%の方々には、あまり良い評価を得ることができなかった。
しかし、残りの20%の方々には強烈に賛同していただいた。
データを読んで、この商品はいける、と確信した。

逆説的な言い方かもしれないが、少数でも強力なお客様=ファンを持つことが、その商品やサービスを長持ちさせ、良い売上にもつながる。

みんなにいい顔をするやつは、結局、誰からも好かれない事態に至ることに似ているのだ。

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