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2008年01月 アーカイブ

2008年01月10日

第267号『甘え』

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【出番を待つ椅子】

年末から年始にかけて、昨年の日記やスケジュール帳を読み直していた。

自分では、いつもと同じように人と会い、企画し提案していたつもりでいたが、なぜか反応が鈍かった。
その原因は何か、と。

分ったことは、「甘え」だった。
別な言い方をすれば、これまでの自分に「自己満足」していたということだ。

いつもと同じような態度で提案していたのではなく、同じアイデアの焼き直しを、同じ手順で提出していただけだった。
つまり、仕事と向き合う態度が硬直していたのだ。
不満の残る一年だった。

同じことを続けるということは、同じように見えるよう、いま以上に違うアイデアや方法を生み出す努力が必要なのだ。
今年は、仕事を共有し、ファンサイトを応援してくれている多くの方々のためにも、自分の中にある「自己不満」を改革すべく、3つの甘えを無くしたい。

1. まずは自分自身に甘えない。
  これで佳し、とする自分の甘えを排除する。
  もっと、自分に厳しくなる。

2. 判断の甘えをなくす。
  みんなにいい顔をすることはできない。
  やらないこと、厭なことを明確にする。
  ダメなものはダメ、厭なものは厭と言えるように自分の判断基準をはっきりさせる。

3. 詰めの甘さをなくす。
  すべての仕事に期限とランクをつける。
  そのことで、分り易い手順と仕事のスピードが生まれる。

全てにおいて、イノベーションし続けなければ、生き延びることはできない。
厳しく、かつ、十分に楽しみながら、実りある一年にしたい。

2008年01月17日

第268号『雨をみたかい?』

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【乾いた植物】

すこし前になるが、日産のワンボックスファミリーカー、セレナのCMソングに1970年のヒット曲、CCR(クリーディンス・クリアウォーター・リバイバル)の『雨をみたかい?』
原題[Have you ever seen the rain?]が使われていた。

ゆったりとした、シンプルで歌いやすい旋律である。
高校時代、深夜のラジオから流れてくるこの曲にあわせ、他愛もなく歌っていた。

Someone told me long ago There's a calm before the storm,
[I know] It's been comin' for some time.
When it's over, so they say, It'll rain a sunny day,
[I know] Shinin' down like water.

I want to know, Have you ever seen the rain?
I want to know, Have you ever seen the rain
Comin' down on a sunny day?

懐かしのあまり、おもわず口ずさんだ。

しかし、この歌詞に込めらているメッセージは、その旋律ほどには、穏やかなものではないことをアメリカに住む友人から教えてもらった。

キラキラと降るのは雨ではなく、実はナパーム弾のことだ、と。

1970年前後、アメリカはベトナムに雨、あられのごとく爆弾を投下していた。
まさしく、その様を歌ったものである。
そして、この歌は本国アメリカで放送禁止となった。

ギャラップ国際世論調査で、08年は07年に比べて「国際紛争の件数が少ない年になるか、多い年になるか」を聞いたところ、世界全体では38%(前回35%)の人々が「多い年になる」と回答、「同じくらい」は41%(前回42%)、「紛争が少ない年になる」は11%(前回13%)で、前回同様に悲観的な見方が楽観的な見方を大きく上回る結果となった。
NOS:日本リサーチセンターオムニバスサーベイ参照)

つまり、今年も、世界の各地で悲惨な光景が繰り返し行われるということである。

昨年12月7日ウィーンで開かれた「クラスター爆弾ウィーン会議」は過去最多の138カ国が参加し、禁止対象や廃棄除去法、国際協力のありかたについて討議された。
この、クラスター爆弾の使用は、対人地雷同様、紛争が終結した後も延々と撤去されることなく放置される。
結果として、紛争で荒廃した国の、これからを担う子供達が犠牲になることが多い。
まぎれもなく、戦争のもつ理不尽さを超えた悪意以外のなにものでもない。

そして、この会議の一番の問題は、クラスター爆弾の主要生産国・使用国からの賛同を得ていないということだ。
そのなかに、我が国日本も含まれている。

2008年01月24日

第269号『ひとりじゃない。』

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【浮き雲を背に立つ鉄塔】

息子たちがまだ小さな頃、よくキャッチボールをして遊んだ。
あらぬ方向にボールを投げていたのが、徐々に上手くなり、そして、いつの間にか、僕よりも速くなり、遠くへも投げることができるようになった。
それは、子供たちの成長を実感できる、ちょっと嬉しい出来事であった。

キャッチボールは、相手の技量や、背丈に応じてキャッチしやすいように投げなければ続かない。
ただ投げたいように投げているだけなのに、気が付けばなぜか相手のこと考えながら投げている。
そして、投げ終わった後、なんだかホッコリと体と心が温かくなる。

ほんの少し、自分以外の誰かのために思いを巡らしただけなのに。

人のためにほんの少し、考え、行動すること。
僕たちの国は、この、ささやかなことが出来なくなって随分と時が経つ。
いま、この国の大人たちが成す全ての醜悪さは、この、ささやかなことが出来ていないからだ。

今週、試写会で映画『陰日向に咲く』を観た。

登場人物は、みんな不器用で、冴えなくて、カッコ悪くてー。
そして、人を思いやる小さな破片のような気持ちが伝わらず、苦悩する。
しかし、やがて、その想いが一気に繋がっていく。
愛おしさに溢れた群像劇だった。

ひとは、いま、人と人の繋がりを前にも増して、強く求めている。
この試写会ですすり泣く、多くの若い人たちを見て感じた。

『陰日向に咲く』は、明日、26日(土)からロードショーがスタートする。
私事で恐縮だが、倅、川村元気が企画・プロデュースした7作目の興行でもある。

2008年01月31日

第270号『都市の画家』

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【サイン】

唐突に、ロートレックが観たいと思った。
おそらく、2、3日前に、新聞か電車の中吊り広告で見た記憶が甦っただけかもしれない。
ともあれ、六本木ミッドタウンにあるサントリー美術館に向かった。

本名、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
遺伝子疾患が原因で、身長が150センチ足らずの、この小さな男は世紀末のパリの街を彷い、そこに生きる娼婦や酒場の女と男たちを描き続けた。

神聖な神話の世界ではなく、貴族の肖像画でもない。
パリの歓楽街で人々がどんな暮らしぶりをしているのかと、画家は彼らの日常に分け入り、つぶさに描き続けた。
それは、まさしく、都市の画家としての先駆けだった。

ロートレックの表現の特徴は、なんといっても、その軽やかなタッチとすべてを描かず、余白を大胆に取り入れた構図にある。
そして、作品の多くがリトグラクという版画による。

リトグラフとは、平板版画ともよばれ、オフセット印刷の原型のようなものである。
油と水の反発する原理を利用して複数の版を重ね、多色刷が可能な版画技法の1つである。
ロートレックの作品を支える、軽さとスピードを活かすには最適な表現技法だ。

リトグラフという複製物の軽さと、虚飾に彩られた都市で過ごす人々の軽さ。
本物と偽物の区別のつかない世界。
そんな所在ない中で、不具合な体の画家を受け止めてくれたのが娼婦たちだったのだろう。

眠る女や、身繕いをする女など、彼女たちの日常がさりげなく描かれた作品が数多くあった。
それは、ロートレックの、女たちに対する哀れみと慈愛に満ちた眼差しである。
まさしく、彼が切り取ろうとした世界は、都市生活者の孤独と愛の記憶だったのではないか。

都市の画家、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、梅毒とアルコール中毒に犯され、わずか37年の短い生涯を駆け抜けた。

「ロートレック展」は3月9日(日)まで、サントリー美術館で開催中。

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