徒然草

2018年06月15日第78回 深い森

 何かをしたい、という欲求を完全に失うときがあります。何をしても薄い感情しかわいてこないというか、ただやるべきことに追われているというか、振り返ると何度もこういう類のことが自分に訪れたりして、五月病とか無気力症とかいう言葉で片づけている人も少なくないと思います。「さあ、立ち上がろう!」と自らに言い聞かせることで、このような症状にピリオドをうてれば理想です。優れた経営者はこう言います。「自分が変われば環境が変わる。」「周りを変えることは難しいが自分を変えるのは簡単だ。」

 でも自らを奮い立たせたり、自問自答したりすることは凡人には難しいのです。だから僕も含めて多くの人は、外的要因や環境に頼るわけです。自発的に物事を動かしていくことの難しさをよくわかっているので、おかれた環境や立場を変えること、あるいは変えてもらうことで、自分自身を変えていくのです。自分をコントロールすることが実は意外と難しいことを皆理解しているのです。
 親しくしてくださっている元プロスポーツ選手が言っていました。「僕は16歳のときにプロとして兄弟や家族の人生をも背負った。そのことが一瞬一瞬のプレーに責任感を芽生えさせた。完璧ではなかったけれど、貧しかった環境がそうさせた。でも裕福になった現代においても全ての人がそうであってほしい。必ずできるはずだから。」

 アウシュビッツについて正確な歴史的認識がない人でさえも、その名を知らない人はいないでしょう。ドイツがおこなったホロ・コーストの象徴である強制収容所のある地名で、現在のポーランドの南部に位置します。詳細は割愛しますが、現在残されている二つの強制収容施設跡はどこに立っても全身に負のオーラを感じさせ、特に深い森を背に構えるビルケナウ(第二収容所)は、筆舌に尽くしがたい雰囲気です。
 ドイツ統治下の欧州各地から集められた被収容者はオシフェンチムの貨車駅で降ろされ、生死を「選別」されます。「死の門」と呼ばれるビルケナウの鉄道引込線で彼らは何を感じたのでしょうか。

 そうなのです。いま僕らは平和な世の中に生きています。確かに世界のどこかで戦火を交えている人たちもいます。でも平和で物が溢れる豊かな時代を生きています。夜が明ければやってくる当たり前の一日に幸せを感じるべきなのでしょう。自らの意思で生きるという選択をできなかった人々の無念さを想像すべきでしょう。何も、死の門の前に立たなくても、モチベーション云々と御託を並べずに日々を過ごさないとなりません。
 不幸や貧困に直面しなくても責任を背負った一瞬を過ごすことは「必ずできるはず。」…彼の言葉を思い出し、世界遺産をあとにするのでした。

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執筆者

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南谷 康宗

経営家・個人投資家・事業戦略家

慶應義塾大学法学部卒
幼少を欧州で過ごし、帰国後サッカーに没頭。

中学からエスカレーター校に入学し、順調にスポイルされ大学卒業。 10年の金融機関勤務経験を経て独立。
現在は複数社で取締役を務め経営に携わるとともに自らも投資家として複数企業に資本投下。

クライアントの依頼に応じて事業ごとの戦略策定と起業にも携わる。
小さな成功と大きな失敗を繰り返し、不惑40歳を超えても迷い続ける人生の旅人。

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