ファンサイト通信

2018年07月19日第785号『夏の思い出』

【祖父の生家】

子供の頃、夏休みがはじまると同時に祖父母の家に遊びに行った。
どんなことを話したか、然とは思い出せないが、幾つか記憶に残ってい
るシーンがある。

例えば、祖父が枯山水を模した庭に水撒きをしている、そんな光景を縁
側からなんとなく眺めていたことを。
あるいは、夕餉の後、庭に出て待っていると、祖母が広間に予め用意し
ていた蚊帳に、幾匹もの蛍を放ち、光の乱舞を夢見心地で見たことを。

そんな、いまとなっては夢のような幾つかの記憶の中でも、特に強く印
象に残っていることがある。

春の田植えや、りんご園の枝切り剪定などの忙しい時期が終わる頃から、
秋の刈取りで再び忙しくなる前まで、(昭和も30年代ころまでは)津軽
の家々を回って、物乞いをする旅芸人の一団(だいたいは盲目の男女2~
4人、時に子供が混ざっていることもあった)が現れる。
彼らは、津軽三味線を抱え、唄(津軽民謡)を歌いながら米や小銭を得
ていた。

趣味人だった祖父は、自分の部屋で津軽三味線と水墨画が好きで、よく
手習いをしていた。
そんな祖父は、時々、三味線の先生として、彼らを家の離れに逗留させ
ていた。
そして、数日後、子どもたちや近所の方々を招いて、お披露目会を開い
た。

ある夏、このお披露目会の観客席に僕もいた。

ハーアー
お国自慢の
じょんから節よ
若衆うたって
あるじの囃し
娘踊れば
稲穂も踊る

ハーアー
津軽よいとこ
お山が高く
水がきれいで
女がよくて
声が自慢の
じょんから節よ

薄い記憶だが、聴いたのは「津軽じょんがら節」だったような気がする。

祖父も混じっての演奏の中で、ひときわ三味線のバチさばきが力強く、
説得力?のある音色を紡ぎだす若者がいた。
子供の僕でさえ、ズシンと響くその音色に心がうずいた。
そんな何かを感じさせる奏者。

この、ひと夏の思い出を(亡くなる少し前)父に話したことがある。
父も、あの日のことを覚えていた。
そして、彼こそは盲目の若き津軽三味線奏者、高橋竹山だったと、教えて
くれた。

*写真は、祖父の生家。
ありがたいことに、現在、地元の鶴の舞橋(吉永小百合さんが出た、JR東
日本のCMで紹介された)がある公園に保存されている。

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執筆者

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川村 隆一

ファンサイト有限会社
代表取締役

1952年1月生まれ。
日本大学芸術学部卒業。
日活株式会社、日本工学院専門学校映像デザイン美術科(現)グラフィックデザイン科専任教師、株式会社Cカンパニー、株式会社ナガセ等を経て、ファンサイト有限会社を設立。
資生堂・イオングループ・キリンビール・マツダ等の企業コミュニケーション/広報活動のためのディレクションとプランニングを手がけてきた。

【書籍】「企業ファンサイト入門」日刊工業新聞社刊 2006年
【賞】経団連海外広報センター最優秀デザイン賞(横浜銀行アニュアルレポート)

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